父Xと母Y夫婦の間には、XY夫婦と同居するA(長女。以下、「長女A」という。)と、XY夫婦とは別のところに住んでいるB(次女。以下、「次女B」という。)がいる。
母Yは、「一切の財産は長女Aに相続させる。」という遺言書を作成していた。
その後母Yは死亡した。
次女Bは、遺言書の内容を知り、長女Aに対し、遺留分侵害額請求をした。
- 遺言書において、甲弁護士が遺言執行者として指定されていた場合、次女Bから長女Aに対する遺留分侵害額請求について、甲弁護士が長女Aの代理人に就任することに弁護士倫理上の問題はあるか。
遺言執行が完了していない間は、避けておいた方が無難。
遺言執行が完了した後であれば、懲戒事由には該当しないと考えられる。とはいえ、民法改正後の日弁連のスタンスが明確になるまでは、差し控えておいた方が安全。
- 遺言書において、長女Aが遺言執行者と指定されていた場合、甲弁護士が長女Aの代理人として遺言執行業務を受任することに弁護士倫理上の問題はあるか。
遺言執行者である長女Aの代理人となり遺言執行業務を行うこと自体はよい。
ただ、遺言執行が完了していない間は、次女Bから長女Aに対する遺留分侵害額請求について、甲弁護士が長女Aの代理人に就任することは避けておいた方が無難。
遺言執行が完了した後であれば、懲戒事由には該当しないと考えられる。とはいえ、民法改正後の日弁連のスタンスが明確になるまでは、差し控えておいた方が安全。
一方、高中正彦ら『弁護士倫理のチェックポイント』は、異なる設問(以前に被相続人から遺言書の作成方法を相談され、公正証書遺言の案を作成してあげたことがある件で、遺言で遺言執行者に指定された相続人から、「遺言執行業務を代理して行ってほしい」と依頼があった場合、弁護士は遺言執行者の代理人になってもよいか。)に関する解説で「遺言執行者は、遺産の管理処分を行う者として相続人全員と等距離を保つべきであるといわれますが、それは遺言執行者自身に要求されることであって、依頼者のために党派的行動をとるのが職務の基本である代理人弁護士には無関係と考えられます。したがって、弁護士が依頼者たる遺言執行者の利益のために職務を行うことに特段の制限はありません。」(111頁)としており、上記設問についても、次女Bから長女Aに対する遺留分侵害額請求について、遺言執行の完了の前後を問わず、甲弁護士が長女Aの代理人に就任することに弁護士倫理上の問題はないと考えるようにも読める。
(信義誠実)
第5条 弁護士は、真実を尊重し、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行うものとする。
(名誉と信用)
第6条 弁護士は、名誉を重んじ、信用を維持するとともに、廉潔を保持し、常に品位を高めるように努める。
(職務を行い得ない事件)
第27条 弁護士は、次の各号のいずれかに該当する事件については、その職務を行ってはならない。ただし、第3号に掲げる事件については、受任している事件の依頼者が同意した場合は、この限りでない。
一 相手方の協議を受けて賛助し、又はその依頼を承諾した事件
二 相手方の協議を受けた事件で、その協議の程度及び方法が信頼関係に基づくと認められるもの
三・四 〔省略〕
五 仲裁、調停、和解斡旋その他の裁判外紛争解決手続機関の手続実施者として取り扱った事件
(同前)
第28条 弁護士は、前条に規定するもののほか、次の各号のいずれかに該当する事件については、その職務を行ってはならない。ただし、第1号及び第4号に掲げる事件についてその依頼者が同意した場合、第2号に掲げる事件についてその依頼者及び相手方が同意した場合並びに第3号に掲げる事件についてその依頼者及び他の依頼者のいずれもが同意した場合は、この限りではない。
一 〔省略〕
二 受任しているほかの事件の依頼者又は継続的な法律事務の提供を約しているものを相手方とする事件
三 依頼者の利益と他の依頼者の利益が相反する事件
四 依頼者の利益と自己の経済的利益が相反する事件
問題の所在
旧民法1015条は、「遺言執行者は、相続人の代理人とみなす」と規定していた。したがって、遺言の執行中に一部の相続人の代理人になるということは、利益相反になりうる。
また、遺言執行完了後も、職務基本規程5条、6条に違反し、中立性、公正性を害するとされうる。
実際に、日弁連の平成18年1月10日の懲戒処分決定は、「遺言執行者は特定の相続人の立場に偏することなく、中立的立場でその任務を遂行することが期待されているのであり、相続人間に深刻な争いがあり、話し合いによって解決することが困難な状況がある場合は、遺言執行業務が終了していると否とにかかわらず、特定の相続人の代理人となって訴訟活動を行うことは慎まなければならない」としている(その後、東京高裁は取消し請求を棄却)。
弁護士職務基本規程 解説〔第3版〕の内容
- 懲戒事由においては根拠条文は統一されていないが、「大別すると、職務基本規程5条および6条の問題としてとらえる見解と、利益相反の問題としてとらえる見解に分かれる」(98頁)
- 「職務基本規程5条・6条の問題としてとらえる見解は、遺言執行が終了した後でも遺言執行者の職務に対する信頼を害した場合には懲戒に問える点に特徴がある」(98頁)
- 「遺言執行が終了していない時点においては、一部の相続人の代理人になるのは差し控えるべきであるといわざるを得ない。また、遺言執行が終了した後であり、かつ遺言執行者に裁量の余地がない場合であっても、少なくとも当事者間に深刻な争いがあって、話し合いによる解決が困難な状況においては、遺言執行者に就任した弁護士が一部の相続人の代理人になることは、やはり差し控えるべきであろう」(99頁)
平成30年法律72号による民法改正後の検討
遺言執行が完了していない間
平成30年法律72号による民法改正は、「遺言執行者は、相続人の代理人とみなす」(改正前民1015)という規定を削除し、民法1012条で、遺言執行者は遺言の内容を実現することを職務とすること、したがって必ずしも相続人の利益のために職務を行うものではないことが明確となった。
ただし、この平成30年法律72号による民法改正について法制審議会においては、「相続人の代理人というふうに書くと、相続人の利益のために活動すべきものだという誤解が生じているというご指摘があって、それを踏まえて規定ぶりを変えるだけで、相続人の代理人的地位を有するという点(中略)を変えるわけではございません」との説明がなされている。
また、平成30年法律72号による改正後の民法1012条第3項において民法644条以下の委任の規定が準用されており、相続人の代理人としての側面が完全に払拭されたわけではない。
したがって、少なくとも、遺言執行が完了していない間は、一部の相続人の代理人となることは、利益相反と主張されて懲戒事由に該当する可能性があるので、避けておいた方が無難。
遺言執行が完了した後
遺言執行が完了した後であれば、利益相反ではなく、遺言執行者の職務に対する信頼を害するか否か(弁護士職務基本規程5条・6条の問題)が争点となる。
もともと今回の改正は「相続人の利益のために活動すべきものだという誤解」を避けるための改正であり、「遺言執行者の職務に対する信頼」の中身を解釈する際はその改正の趣旨は十分に反映されるべき。
また、平成30年法律72号による民法改正においては、遺留分の性質が根本的に改正されたという点も重要。従前は遺留分減殺請求を行使すると、当然に物権的効果が生じ、遺贈又は贈与の一部が無効となるとされており、その場合遺言執行者と遺留分権利者との利害は相反する面があった。しかし、民法改正によって遺留分に関する権利は金銭債権化されたため、遺言執行者は遺留分侵害額請求権の行使があったとしても、そのまま遺言執行をすることに何の障害もなくなり、遺留分権利者との利害が相反しなくなった。
以上より、遺言執行が完了した後であれば、将来の遺留分侵害額請求訴訟において被告の代理人となること自体は懲戒事由に該当しないと考えられる。
ただし、現段階において民法改正を前提とした議決例は見当たらないし、日弁連においては、「弁護士は、遺言執行者に就任したときは、当該財産に関する他の事件につき、職務を行ってはならない。その地位を離れた以後も同様とする」という規程を新設する動きすらある。
よって、民法改正後の日弁連のスタンスが明確になるまでは、遺言執行者が一部の相続人の代理人となることは、遺言執行が完了しているか否かに関わらず差し控えた方が安全である。
【参考文献】
・野口大・藤井伸介編(2021).『実務家も迷う 遺言相続の難事件』.新日本法規.
・高中正彦ら(2023).『弁護士倫理のチェックポイント』.弘文堂.